芸能ニュース365

365日毎日その日にあったホットなニュースを更新!!

    訃報



    (出典 linkbal-ivery-prod-image.s3-ap-northeast-1.amazonaws.com)



    1 すらいむ ★ :2019/08/26(月) 11:32:16.79

    富士山山頂付近で落石 20代女性が死亡

     山梨県警に入った連絡によると、26日午前7時ごろ、富士山山頂付近の登山道で20代の女性が落石に当たり死亡した。

     事故を受け、登山道の富士吉田ルートは標高3450メートルに当たる8合5勺(しゃく)地点から山頂まで通行止めになっている。

     現場付近は昨年秋の台風で石積みが崩れ、今年7月9日まで通行が規制されていた。

    産経新聞 8/26(月) 11:17
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190826-00000526-san-soci


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    (出典 reon0912.com)



    1 Hikaru ★ :2019/08/02(金) 20:08:44.77

    生後11か月の女の子が車の中で死亡 放置され熱中症か 富山
    NHK NEWS WEB 2019年8月2日 18時55分
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20190802/k10012019611000.html

    2日、富山市で駐車場に止められた車の中にいた生後11か月の女の子が死亡しました。
    警察は、女の子が車に放置され熱中症になった疑いがあるとみて調べています。

    2日午前9時半ごろ、富山市太田のアパートに住む20代の母親から「娘が車の中でぐったりしている」と消防に通報がありました。

    救急隊員が駆けつけ、生後11か月の野畑心湊ちゃんを病院に搬送しましたが、その後、死亡が確認されました。

    警察によりますと、心湊ちゃんは家族が住むアパートの駐車場に止めてあった車の後部座席にいたということで、目立った外傷はありませんでした。

    警察によりますと、当時、車の窓は閉めきられエンジンがかかっていない状態だったということで、
    警察は、心湊ちゃんが車の中に放置され熱中症になった疑いがあるとみて死因などを調べています。

    富山地方気象台によりますと、富山市の2日午前9時半までの最高気温は32度6分だったということです。


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    (出典 cdn.snsimg.carview.co.jp)



    1 THE FURYφ ★ :2019/05/21(火) 10:50:44.85

    3回にわたってF1王者に輝いたニキ・ラウダが亡くなった。70歳だった。

    ラウダは昨年半ばから健康問題に悩まされ、8月には肺移植の手術を受け、2カ月間にわたって入院を余儀なくされていた。
    また、今年の初めにはインフルエンザに感染し、再び短期間の入院生活を送っていた。

    最近では、腎臓透析を受けているとオーストリアの新聞でも報道されていたラウダ。しかし5月20日(月)に、家族に見守られながら、
    息を引き取ったという。

    「私たちの愛するニキは、月曜日に家族に見守られながら、静かに亡くなった」

    ラウダの家族は、オーストリアのメディアにそう声明を発表した。

    「アスリートとして、そして実業家として、彼の達成した業績は忘れ難い。彼の疲れを知らない行動への熱意、そして彼の率直さと
    彼の勇気は、記憶の中に残っていく」

    「我々全員の模範として、そして目標だった。プライベートでは、彼は愛と思いやりにあふれた夫であり、父親であり、祖父であった」

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190521-00000003-msportcom-moto


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    (出典 caprice-m.blog.so-net.ne.jp)



    1 豆次郎 ★ :2019/05/02(木) 08:38:39.79

    5/2(木) 7:07配信
    「何も知らない18歳のころから、師匠を尊敬し、信頼し、すべてを捧げてきました…」

    16年に、6代目・桂文枝師匠との愛人関係を『FRIDAY』に告白した、演歌歌手の紫艶さん。

    桂文枝と紫艶さんの「不倫の軌跡」と直撃写真はコチラ

    18歳のとき『吉本演歌歌謡曲選手権』で優勝。00年には日本有線大賞新人賞を受賞した彼女が、19年3月7日に都内のマンションで独り、帰らぬ人となっていた……。

    「3月11日の昼間、事務所に彼女のお母さんから『毎日、電話をくれる娘が3月7日を最後に連絡が取れない』という電話がありました。大家さんにも連絡していたようで、その方が紫艶さんを見つけて下さったんです」

    そう話すのは、16年4月から彼女が所属している芸能プロダクション社長のA氏。文枝と別れ、愛人関係を告白したあと、この事務所に入った。

    「文枝さんに捨てられた直後、紫艶さんの精神状態はとてもひどく、リストカットを繰り返してしまったそうです。彼とは18歳のときから38歳まで20年間付き合い、“初めて好きになった人が文枝さんだった”って涙ながらに話したこともありましたよ。ただ、今の事務所に入ったことをきっかけに、“彼のことを忘れて頑張る”って話してくれましたし、実際にそれからは、一度も自殺未遂のようなことは無かったって聞いていますよ」(レコード会社関係者)

    大家さんから紫艶さんが亡くなったことを聞いた彼女の母親は、兵庫県から着の身着のままで上京。事務所スタッフと一緒に遺体に対面すると、その場に泣き崩れてしまったという。

    自宅で亡くなっていたため、遺体は司法解剖に。その結果、「病死」という判断が下された。多くの種類の薬を服用していため、それが死因ではないかと伝えられたという。

    「精神的に弱かったので、薬を服用していることは知っていました。それは初めて私と会ったときから飲んでいましたね。彼女はお酒を一滴も飲めないんですが、薬の影響か、ひどいときは呂律が回らないこともありました。何か所も病院に通っていたようで、それは警察から聞いて初めて知りました。部屋には薬がいっぱいあったようで、薬の飲み合わせが悪くて、命を落としてしまったのかもしれませんね」(同・A氏)

    葬儀は3月15日に都内で肉親と事務所スタッフだけで、ひっそりと執り行われた。

    「葬儀で紫艶さんはメイクをしていて、なんか映画やドラマのワンシーンをみている感じでした。とてもキレイでしたし、“トントン”って叩いたら、いまにも起きてきそうで…」(同・A氏)

    当時、文枝はFRIDAYの報道を受けて、愛人関係を否定。「2年前に会ったのが最後」と話していたが、最近まで2人がやり取りしていた『LINE』が出てくるなど、泥沼の不倫劇だった。

    釈明会見では、紫艶さんのことを「娘のような感じで応援していた」と話していた文枝。いったい、彼女の死をどう受け止めるのだろうか。

    そこで、平成最後となる4月30日。一門会が終わり、大阪にある寄席『天満天神繁盛亭』から出てきた桂文枝を直撃取材した。

    ――すみませんFRIDAYデジタルですが、3月7日に紫艶さんがお亡くなりになったのをご存知ですか?

    「え、誰が?」

    と、怪訝そうに名刺を受け取る。

    ――紫艶さんです。

    「ほんまか…(絶句)」

    驚いた表情で顔を上げ、まっすぐ記者を見つめる。

    ――師匠と20年間お付き合いした彼女が、41歳という若さで亡くなったんですよ?

    「……」

    何か言いかけたが、運転手にうながされ車に乗り込むと、そのまま走り去ってしまった。

    「歌のレッスンも定期的にしていましたし、自分でカラオケに行ってCDを作って持ってきてくれたこともありました。本格的に歌手活動も再開しようと話していたんですよ。それなのに…」(前出・A氏)

    あまりに切なく早すぎる“歌姫”の死。きっと天国から『令和』の新時代を眺めているに違いない…。


    文:荒木田 範文(FRIDAYデジタル芸能デスク)
    埼玉県さいたま市出身。夕刊紙、女性週刊誌を経て現職。テレビやラジオなどにも出演中

    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190502-00010001-friday-ent


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    (出典 images-na.ssl-images-amazon.com)



    1 靄々 ★ :2019/04/17(水) 01:56:14.72

    2019年04月17日
    https://mantan-web.jp/article/20190417dog00m200000000c.html

     ヒット作「ルパン三世」などで知られるマンガ家のモンキー・パンチ(本名・加藤一彦)さんが11日、肺炎のため死去した。81歳。

     1937年に北海道浜中町で生まれる。65年に「プレイボーイ入門」でマンガ誌「漫画ストーリー」(双葉社)からメジャーデビューを果たし、67年8月にマンガ誌「漫画アクション」(双葉社)で「ルパン三世」の連載を開始。人気を博して、71年にはテレビアニメが放送開始。その後もテレビシリーズ、劇場版など現在まで新作が作り続けられるヒットアニメとなった。

     80年以降、サンディエゴ・コミックコンベンションINKPOT賞、ローマ・コミックフェスティバルROMICS金賞、AMD Award功労賞、東京アニメアワードアニメ功労賞などを受賞。晩年もCGを使った3Dアートの研究など意欲的に活動したほか、大手前大学などの客員教授としてマンガ制作の講義を行うなど、後進の指導にも努めた。

     2012年からは故郷の浜中町で、ファンイベント「ルパン三世フェスティバルin浜中町」開催されているほか、07年のテレビスペシャル「ルパン三世 霧のエリューシヴ」も同町が舞台になるなど、郷里への思い入れでも知られていた。


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